2006年08月27日

山羊

 前回、バフォメットという半人半獣の悪魔は山羊の顔をしていると記しましたが、これにはれっきとした意味がありましたので補足します。

 キリスト教では、イエス・キリストを羊飼いに、信徒を羊に例えることがあるそうです。羊は遊牧民にとって重要な財産であり、神に捧げる犠牲として不可欠でした。逆に山羊は牧草を荒らしたりする忌むべき動物とされてきたのです。
 キリスト教では、信徒に混じっ異教徒を羊の群れに混じった山羊として例えることもあり、山羊は悪魔の象徴として使用されてきましたひらめき


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2006年08月25日

悪魔について2

――前回に続き、デビル(悪魔)を見ていきます。


 カードの絵柄に注目しますと、たいていのタロットカードにはバフォメットという半人半獣の悪魔が描かれています。顔は山羊、背中にはコウモリのような黒い羽、下半身は毛むくじゃらで両足は三本指の鉤爪、全体的に筋骨たくましい容姿が特徴です。
 悪魔の基本姿勢は物質主義ですので、倫理や道徳といった精神性はなく、あるのは現物に対する執着心です。たいまつの炎は物欲に関する強さを表し、逆五ぼう星は物質優位を表すそうです(ちなみに正常の五ぼう星は精神優位)
 鎖に繋がれた男女は、甘い誘惑に捕われて悪魔の膝元にいます。しかし男女に、そこから逃げようとする意志はなく、むしろ自らの意志でその場に留まろうとしています。これは前回に述べた現状の脱却からに対する恐れに起因します。

 悪いイメージの先行するデビルですが、本来人間は欲望というパワーを元に進歩してきたのです。歩くのがしんどいから車を作ったり、簡単に人を殺すために銃を作ったりと、いかなる方向性においても、欲望は目的に達するための力強い熱意を生み出します。気がつくと楽をしたいために勤勉になっていたというケースは多々あります。

 恋愛関係では、難儀といえます。自分の価値基準が相手に会わない、また相手の価値基準が自分に会わない場合、迷いなく別れるでしょう。これは浮気や不倫に走る原因に当てはまります(交際中に現れた第三者の価値が相手より高いと判断すれば、そちらになびく)
 仕事関係では、仕事の過程や処理の仕方に興味はなく結果主義なため、結果が出ないと容赦のない批判を浴びせてきます。また、自分の野心のために動き、周囲の迷惑を顧みない傾向があるので、職場環境は重いでしょう。

 よく、道を外した相手に対して「あいつは悪魔に魂を売ったんだよ」と表現することがある。非情な取り立てをするヤミ金業者、少女を拉致監禁して性的暴行を繰り返す強姦魔、冤罪事件で被害者を際限なく苦しめる警察――たしかに悪魔の所業といえる行為と言っていいものばかりであろう。
 しかし、彼らは本当に悪魔に魂を売っっているのだろうか。実際に悪魔召喚の儀式でもしたのだろうか。なんらかの取引をして悪魔の力を得たというのだろうか。その証として、悪魔との契約書にサインでもしたというのだろうか。よほど悪魔崇拝に精通している人でもない限り、そんなことはないと断言できる。ではなぜ人は悪魔の力無しに悪魔の所業と称される行為に及ぶことができるのか……ミジンコはこう考えます。

人間は悪魔に魂を売らなくても、それだけ非情なことができる生き物である

 別に人類の悲観を気取っているわけではありません。人間の、知恵をつけた獣性という側面を認識し、いざという時の心構えを持ってもらいたいだけです。「あんな評判のいい人が、そんなことをしていたなんて…」という状況に出くわしても冷静に対処できる気構えがあるとないとでは大違いですからひらめき
posted by ミジンコ at 22:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

悪魔について1

 今回はカードナンバー15のデビル(悪魔)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・半人半獣の悪魔バフォメット
・逆五ぼう星
・たいまつ
・鎖に繋がれた男女

 このカードのテーマは誘惑と欲望です。欲に目がくらみ、気づいたら後戻りができなくなって身の破滅に追い込まれた――これが悪魔に対する一般的な誘導イメージになります。「いい儲け話があると言われて出資金を渡したら、そんな話は嘘で金を持ち逃げされた」「美女の手招きに付いて行ったら隠れていた悪漢達に集団暴行されて金を奪われた」「講演会で有名芸能人に会えると誘われて行ったら実は宗教の勧誘会で、入会と多額の寄付を要求された」など、事例を挙げ出したらキリがありません。つまり、甘い言葉で誘いを掛けて相手をだまし、破綻させるのです。詐欺、ヤミ金、暴力団などの被害がこれらに当てはまります。また、手っ取り早く多額の利益を挙げたいという思惑から、自ら上記のような反社会的行為に手を染める――安易に加害者側になる――ことも示しています。

 デビルの示唆する誘惑は、そのまま堕落へと繋がります。悪魔は、人間が苦しい立場に追い込まれ、なんとかこの苦境から脱しようと考えているところに姿を現し「苦境?とんでもない、ここは楽園だよ。その証拠に、外に出れば更なる苦しみがお前を待っている。ここにいれば今以上の苦しみを味わう事は無い。その苦しみだって、いずれ慣れるさ」と囁きます。そしてこの言動は、人間には現状が苦しくて停滞していても、その現状に甘んじようとする傾向があることを示しています。これは現状の変化に対する恐怖からくるものです。「苦境とわかっている現状なのに?」と思うかもしれませんが、これはれっきとした現実的傾向です。

A・家庭内暴力があっても、なかなか家を出て行けない
B・体調が悪いと思いつつも病院へ行こうとしない
C・友人に貸した金を返してと言えないでいる
D・冷め切った恋愛関係なのに別れを言い出せない

 上記の項目を見て、「こんな状況に甘んじられるなんて信じられない。自分は他の人とは違う」と思ってこの状況を打開するための行動を取れる人が何人いるでしょうか。おそらく、ほとんどいないでしょう。少なくても、「ならすぐにでも実行して」と言われて「あ、いや、その…」「でも…」「けど…」などの言葉を吐いた人は十中八九やりません。
 一番の動機は、やはり恐れです。一寸先は闇というように、たとえ今の苦境を脱したとも、その先に何があるのか、わかりません。さらに悪い未来が待っているのではないか、という恐れから現状に甘んじてしまい、結局は現状維持の姿勢を取ってしまいます。慣れとは恐ろしいもので、どんなに苦しい状況でも、次第に気にならなくなるのです。こうなると今を変化させることの方が悪となり、進歩していくことを忘れて堕落の一途をたどることになります。しかも当事者は、その自覚がないことがほとんどです。
……まさに悪魔のささやきとは、言い得て妙ということでしょう。


――文章が長くなってきました。次回は、デビルの長所も含めて続きを見ていきたいと思いますひらめき
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2006年08月20日

悪魔ちゃん命名事件

 1993年、東京の昭島市で、生まれた長男に悪魔と名づけた夫婦がいた。この話題はワイドショーなどにも連日取り上げられ、日本中がこの名前を巡って大きな騒動となった。この名前を付けた父親の言い分は……

「誰からも興味を持たれ、普通以上に多くの人と接してもらえること」
「物怖じしない野心家になってほしいという願いから」

というのだが、一見して悪いイメージを浮かび上がらせる名前には、正の財産よりも負の財産の方が多くもたらされるのは必至である(学校では名前からの差別によるいじめ、社会では企業イメージの低下が見込まれる人物を入れたりしない、など)
 その後、家庭裁判所などで争った結果、子供の名前を「亜駆」と改名したことで決着。この騒動から父親の経営するスナックは閉店、妻とも離婚してしまい、子供は妻が育てることとなった。

 現在、この「悪魔ちゃん」は13歳となりましたが、様々な過程を経て、児童養護施設で暮らしているそうです。
 生まれながらにして、まっとうな人生を破滅させられた子供。それは文字通り「悪魔」をその身に宿らされた者が待っていた帰結でした。この事象も踏まえて次回、大アルカナ15のデビル(悪魔)を見ていきたいと思いますひらめき
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2006年08月15日

節制について

 今回はカードナンバー14のテンパランス(節制)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・背中の双翼を広げた天使
・両手に杯
・両杯から流れ出る水が交わる
(または一方から、もう一方の杯に水が注がれる)

 このカードのテーマはバランスと向上です。節度ある心は精神の理想的な均衡を構築し、その心は自然と自己の健全性を高め、心身を更なる高みへと成長させます。一般に節制とは、不摂理を避けて身体の健康を保つことを指します。酒やタバコを無作為に飲んだり、昼夜を逆転させるような生活をしていては身体に悪影響を及ぼします。そういった生活態度を改め、適度な睡眠、食事、運動といったバランスのいい日常を過ごそうというのが節制の精神です。健全な精神は健全な肉体に宿るという言葉が、まさに合致します。
 バランスのとれた堅実な姿勢や安定した状況は、物事を良い方向へと導いてくれます。成長というものは、エレベーターのように一気に最上階へ到着するような急上昇はありません。螺旋階段を徒歩で昇っていくように、一定の周期をもって少しずつ上昇するものです。これは、状況を変えようと焦って行動しても良くはならず、かえって失敗することを示しています。学校の試験でも、国語・数学・英語・理科・社会などをバランスよくやらなければ高得点は望めません。一方が100点で一方が0点では、あまりに不安定なため知識が向上しているとは言えません。食事でも、肉ばかり食べていては栄養不足になるのは必至です。肉・魚・野菜などで栄養をバランスよく摂ることで肉体を効率的に成長させます。
 このように、どれか一点だけ特化させたとしても全体的には未発達な成長、または逆に弱体化するといった傾向に陥ります。今の自分から更に上へと目指したいのなら、現状に対して焦らず、現状を受け入れながら自然の流れとともに歩んでいく――これがテンパランスのカードが示す意義です。

 このカードで重要なのは、やはり絵柄にある杯と水ですが、それにもまして注目すべき箇所は、その位置付けです。テンパランスは13のデス(死神)と15のデビル(悪魔)の間にありながら、その節制たる存在を維持していくという力強い意志が込められているのです。そしてその力の根源は、ずばりであると言われています。
 テンパランスの絵柄の天使は、直前のデスで、その生命を終わらせた霊魂に再び生命を宿します。それを象徴するのが杯と水――両杯の水はそれぞれ男性と女性を表し、その水が混ざり合うことで性の結合がなされ、新たな生命が生まれます。また、女性原理の象徴である杯(膣)に男性原理の象徴である水(精液)が注がれての性の結合とも取れます。いずれにしろ、愛という原動力があってこその生命誕生であります。こうして、なくなった生命の再生を繰り返していく結果、この世の全てのバランスを整え、そして向上していくのです。

 恋愛関係では、異性との友人関係から恋人関係になる、といった自然の流れの乗って次のステップへ進むことができるでしょう。逆に関係を急ぐとかえってダメになります。「今のままの関係でいいのだろうか」と焦りを覚える人は、一度目を閉じて精神統一することをお勧めします。そうすれば静かに思考をまとめられ、状況認識の幅を広く持つことができるでしょう。
 仕事関係では、全体のバランスを考えての言動が職場の雰囲気を良くするでしょう。仕事内容の処理も、従来通りの方策に従ってスムーズにこなしていきますし、そこから処理法を洗練して、無駄を省いた過不足のない効率的な作業へて発展していくことでしょう。

 テンパランスはミジンコが大アルカナで一番気に入っているカードです。やっぱりバランスという概念が好きですね。不平等不均衡でなく理想的な形というものに憧れます。そして均衡にしているだけでなく、そこから高みを目指していくという発想が前向きで好きです。その場に停滞することなく前進していくことで人は成長する――節制から学べるものが多く深くあったと感じるカードでしたひらめき
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2006年08月11日

モバイルノートパソコン

 新しいノートパソコンを注文しに行く。その日、出ていたタロットカードはフォーチュン(運命の輪)の正位置。確かに何らかの転機とするには充分な出来事だが、さてこの先どうなるか……

 別に今使っているノートパソコンが壊れたわけではないが、今のやつも使い始めてもうすぐ10年になるので、そろそろ新しいのが欲しいと思った。
 バイオのオーダーメイドタイプの製品で、ハードディスクやCDーROMの性能などは安く仕上げてもらい、プロセッサーのみ奮発して一番いいのにしてもらう。オーダーメイドのためパソコンの到着は8月下旬。Skypeというものにも興味あるので、新しいのが届いたら、まずはそれをやってみようと思うひらめき
posted by ミジンコ at 15:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

死神について3

――今回でデス(死神)についての見解を区切りたいと思います


 恋愛関係では、やはり「切れる」ことを示唆するデスでは、全体的にマイナスに働きます。片思いの相手に告白して、はっきりと断られる。恋人関係にあるのなら終止符が打たれる。ある意味、既成された概念通りのデスに当てはまるでしょう。しかしそのショックを受け入れ、前へ進むための糧とするのなら、必ずや新しい出会いがあるでしょう。何事も「ひきずらないこと」が肝要です。
 仕事関係では、決断が早く、職務を次々と処理していくでしょう。しかし早いあまり重大なミスを見過ごしてしまい、仕事そのものを破壊してしまう恐れもあります。また、転勤や転職といった職場の変化も示唆します。それが吉と出るか凶と出るかは当人の行動次第です。変化の表れが受動的にしろ能動的にしろ、心構えだけはしっかりと持つようにしましょう。

 世間には死神を題材にした物語もたくさん出ています。作品ごとに死神のイメージがあり、固唾を飲むもの、感嘆とするもの、楽観視できるものと様々ありました。これまでミジンコが見てきた死神関連の作品を少し挙げてみます。

・水夏(PCゲーム)
・死神のバラッド(電撃文庫)
・デスノート(少年ジャンプ)
・BLEACH(少年ジャンプ)…etc

 この中では水夏(すいか)が、今まで説明してきた死神のイメージに近いです。この水夏に出てくる死神を説明しますと……
 死神は銀髪と赤い目が特徴の10歳前後の少女であり、服装は黒い帽子に黒いマント、いつも鎌を持った猫のぬいぐるみを抱えている。自分の名前が思い出せないため、皆には自分の事を「お嬢」と呼ばせている。お嬢の姿は、近い内に死ぬ人にしか見ることができない。つまりお嬢の姿が見える人は、近い内に死ぬということである。そして死んだ人のところに必ず現れ、肉体から離れた魂を天へと運ぶ――これがお嬢の死神としての義務である。だが他者から見れば「人を殺してその魂を奪っていく冷酷な死神」として映り、各地でさげずまれてきた。お嬢にすれば、自分の義務を果たしているだけで、自分から人に手をかける真似はしていない。不当な罵りを受けながらも、お嬢が死神の義務を遂行しようとするのは、ただ現世で行き場無く徘徊する魂を救うためである……
 最後には、このお嬢自身にも救いが起こり、物語は感動のエピローグへと進んでいきます。この水夏はPCゲームで、いわゆる恋愛アドベンチャーゲームなのですが、テーマを「死」と捉えてよい作品です。

「魚は、どうも苦手でね……」
「食べないんですか? あなたのために死んでくれた魚なんですよ」

「死には二段階ある。ひとつは普通の死。肉体の生命活動が停止すること。もうひとつは皆の記憶から忘れられちゃうって意味の死。そしてその死は取り返しのつかないものだと思う。だから私は死んだ人のことを忘れちゃいけないって思う」


――これはゲーム中のテキストの一部抜粋ですが、本編の死に関する事柄は質量ともにもっと深く、説得力のあるものです。にも関わらず、おどろおどろしいものを感じさせず、スマートにゲームを楽しむことができる、まさに名作でしたひらめき
posted by ミジンコ at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月02日

死神について2

――前回に続きデス(死神)を見ていきます


 絵柄を見ていくと、やはりどのタロットカードの種類にも大鎌を持つ骸骨という共通認識としての死神の姿があります。他には、無数の死体の山(具現化された感情を含む)、冥界を象徴する背景(奥行きに光明が有ったり無かったり)などの描写があったり、中にはカードいっぱいに骸骨のみ大鎌のみを載せて強調するものもありました。やはり有名な存在だけに、そのイメージも多種多様ですが、基本は「骸骨」「大鎌」そして不吉を象徴する「13」のナンバーは欠かせません。

 さて、このカードは「13」の番号が振られており「死神だけに納得の番号」と認識する人もいると思いますが、ではなぜ13が不吉なのでしょうか?
 これには諸説ありますが、最も一般的なのは、イエス・キリストの13番目の弟子ユダが裏切ったことでイエスが処刑されたためという物語から。また、イエスが処刑されたのが金曜日であることから13日の金曜日が不吉とされています。ミジンコの中学時代、歴史の授業の雑談でこの話をされたのを覚えています耳
 しかし実際にはもっと世俗的な意味合いが根源にあるようです。これからそれを見ていきます……

 ヨーロッパで暦がキリスト教会の推奨する太陽暦(一年を12ヶ月とする暦――ユリウス暦)に染まって久しい時期、庶民の間では古くから根付いた太陰暦の使用の方がいまだに多かった。太陰暦は、一年を月の周期で算出し、ひと月を28日、一年を13ヶ月とする暦である。また、キリスト教の布教以前、13は神聖な女神の数とされてきた。教会は異端の流れを汲むこの数字を「悪の数字」と位置付け、現代に至っている。
 ちなみに金曜日(FRIDAY)の語源は、北欧神話に出てくる、愛と美と豊穣の女神フレイアから。当時の教会は、女性の魂の存在は認めていない。ゆえに女神フレイアの聖なる日とされる金曜日を教会は最も嫌悪した。
 つまり13日の金曜日が不吉という由来はキリスト教の異教徒に対する悪意からきています。
 別にキリスト教を否定しているわけではありません。そういう時代背景があったということを知覚し、漠然とした固定観念に対して少しでも頭を柔らかくしてもらえれば幸いです。


――少し脱線してしまいました。次回、占断と私見を述べてデスを締めたいと思いますひらめき
posted by ミジンコ at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月31日

死神について1

 今回は、カードナンバー13のデス(死神)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・骸骨が鎌を持っている
・骸骨の足元に無数の死体、または平伏する人々

 このカードのテーマは死と再生です。以前死神の固定観念で、デスに関して概ね述べましたが、もう少し掘り下げて見ていきます。

 死神と聞くと「人に死をもたらす存在」と認識すると思います。まず、ここからすでに誤解があります。死神は自分から人の命を奪いに来ません。そのものの命が尽きる、無くなるといった事態に陥った時――命数を使い果たした時に、はじめて現れるのです。ゆえに死神の到来は常に公平であり平等です。決して残りの命数を無視してやってくる略奪者ではありません。
 先程、死神は公平であり平等と言いましたが、これは「全てのものを等しく終わらせる」ことを意味します。喜びも悲しみも、希望も絶望も、そして人間の生命活動も……物事には全てにおいて終わりがあります。その終わりを告げて行動を起こすのが死神の役割。人に死をもたらすという行為は、死神の役割のごく一面に過ぎません。
 そして物事が終われば、そこから新しい始まりがあります。ここに再生という概念が発生するのです。いくつかの例を挙げてみましょう。

A・民衆を弾圧する暴君が打倒され、新たな指導者の元で新国家が生まれる
B・病気が治り(病魔が死に)健康体になる
C・恋人と別れた悲恋話を歌詞にしたところ、ヒットした
D・住み慣れた町を引越し、新たな町で新たな出会いをする
E・人体の寿命が尽き、抜け出た魂が次の生を受けるために転生する

 いずれも共通するのは終わりの始まりです。注意してもらいたいのは、あくまで再出発ですので、その後の転がり方までを示唆するものではありません。極端に良い解釈をするのは慎みましょう。
 ここまでで、デスが人間の死に関して一局面にしか介在せず、物事の終結を旨とする存在であることが理解できたと思います。人間には未練という感情があるので、物事が終わること――自分の手に収まっているものがこぼれ落ちるような感覚には大なり小なりのショックを受けます。しかし感情的には、わだかまっていたものが吹っ切れて、すがすがしい気分になることが多いと思います。「もう一度やり直したい」という願望が人を前へと進ませるのではないでしょうか……


――文章が長くなってきたので、次回に続きたいと思いますひらめき
posted by ミジンコ at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

収拾

 深夜、ドンキホーテに買い物に行く途中、道の隅に小型のDVDデッキが落ちていたので拾って持って帰る。その日、出ていたタロットカードはジャスティス(正義)の正位置。「捨てる者がいて拾う者がいる」ということで秩序が保たれた、とみるべきだろうか……
 部屋に戻ってすぐにDVDデッキをモニターに繋げ、ちゃんと動くかどうか確かめる。ソフトを入れるためトレイを開けると、すでに一枚のソフトが入っていた。内容はパラパラ練習用の視聴ソフト。動作確認のために冒頭だけを見て終わる。
 すでに液晶ディスプレイ付きのDVDデッキも持っているため、特に必要ではないのだが、なんらかのきっかけで使うかもしれない。将来、フォーチュン(運命の輪)が出れば、因果律が成立して運命が動くのだろうか……ひらめき
posted by ミジンコ at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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