2006年07月31日

死神について1

 今回は、カードナンバー13のデス(死神)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・骸骨が鎌を持っている
・骸骨の足元に無数の死体、または平伏する人々

 このカードのテーマは死と再生です。以前死神の固定観念で、デスに関して概ね述べましたが、もう少し掘り下げて見ていきます。

 死神と聞くと「人に死をもたらす存在」と認識すると思います。まず、ここからすでに誤解があります。死神は自分から人の命を奪いに来ません。そのものの命が尽きる、無くなるといった事態に陥った時――命数を使い果たした時に、はじめて現れるのです。ゆえに死神の到来は常に公平であり平等です。決して残りの命数を無視してやってくる略奪者ではありません。
 先程、死神は公平であり平等と言いましたが、これは「全てのものを等しく終わらせる」ことを意味します。喜びも悲しみも、希望も絶望も、そして人間の生命活動も……物事には全てにおいて終わりがあります。その終わりを告げて行動を起こすのが死神の役割。人に死をもたらすという行為は、死神の役割のごく一面に過ぎません。
 そして物事が終われば、そこから新しい始まりがあります。ここに再生という概念が発生するのです。いくつかの例を挙げてみましょう。

A・民衆を弾圧する暴君が打倒され、新たな指導者の元で新国家が生まれる
B・病気が治り(病魔が死に)健康体になる
C・恋人と別れた悲恋話を歌詞にしたところ、ヒットした
D・住み慣れた町を引越し、新たな町で新たな出会いをする
E・人体の寿命が尽き、抜け出た魂が次の生を受けるために転生する

 いずれも共通するのは終わりの始まりです。注意してもらいたいのは、あくまで再出発ですので、その後の転がり方までを示唆するものではありません。極端に良い解釈をするのは慎みましょう。
 ここまでで、デスが人間の死に関して一局面にしか介在せず、物事の終結を旨とする存在であることが理解できたと思います。人間には未練という感情があるので、物事が終わること――自分の手に収まっているものがこぼれ落ちるような感覚には大なり小なりのショックを受けます。しかし感情的には、わだかまっていたものが吹っ切れて、すがすがしい気分になることが多いと思います。「もう一度やり直したい」という願望が人を前へと進ませるのではないでしょうか……


――文章が長くなってきたので、次回に続きたいと思いますひらめき


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2006年07月29日

収拾

 深夜、ドンキホーテに買い物に行く途中、道の隅に小型のDVDデッキが落ちていたので拾って持って帰る。その日、出ていたタロットカードはジャスティス(正義)の正位置。「捨てる者がいて拾う者がいる」ということで秩序が保たれた、とみるべきだろうか……
 部屋に戻ってすぐにDVDデッキをモニターに繋げ、ちゃんと動くかどうか確かめる。ソフトを入れるためトレイを開けると、すでに一枚のソフトが入っていた。内容はパラパラ練習用の視聴ソフト。動作確認のために冒頭だけを見て終わる。
 すでに液晶ディスプレイ付きのDVDデッキも持っているため、特に必要ではないのだが、なんらかのきっかけで使うかもしれない。将来、フォーチュン(運命の輪)が出れば、因果律が成立して運命が動くのだろうか……ひらめき
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2006年07月24日

吊るされた男について

 今回はカードナンバー12のハングドマン(吊るされた男)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・左足をロープまたは布などで逆さ吊りにされている男
・右足を左膝の後に組んでいる
・両腕を背中にまわして組んでいる(または両腕を地面へ垂直に伸ばしている)

 このカードのテーマは犠牲です。他にも試練や罰といった意味合いも当てはまります。いずれにしろ苦しむ状況に置かれることを示すカードです。

 とはいえ、何の見返りもなしに苦難を受けるわけではありません。自分が成長するためには、それに見合う課題をこなさなければ成長したといえません。スポーツで勝つために人一倍、苦しい練習に打ち込む。好きな異性に振り向いてもらうために、お金をかけて容姿や服装のセンスなどを磨きまくる。等価交換の法則といって「何かを得るためには他の何かを犠牲にしなくてはならない」のです。逆を言えば、犠牲にしたものの分だけの救いや報酬があってしかるべきなのです。もっと簡単に言えば苦労は報われるということです。ゆえに現状が苦しいからといって安易に投げ出してはいけないことも示しています。

 よく絵柄の人物はイエス・キリストに例えられます。自分の身を犠牲にし、未来への生まれ変われを待つ姿が重なるのでしょう。ミジンコの読んだ本によると、この人物は犠牲になって吊るされている(死んでいる)のではなく、次の13のデス(死神)へと続いていく接触点として「死んだ」形をとっているのであるという。この人物の苦しみは次のカードによって解放されることになります。

 恋愛関係では、相手の持つ苦労性が自分にも影響を与えるため、受難で気苦労の多い付き合いとなるでしょう。しかし、あなたが相手の苦労を理解できる献身さがあれば、良好な関係を保てるでしょう。
 仕事関係では、真面目にこなしていきますが、処理しきれない問題を一人で抱え込みがちで、問題が大きくなるまで他人に助けを求めないことがあります。追いつめられた結果、自己犠牲精神が働き「責任をとって辞職する」とまで言い出しかねません。周囲の人は精神的なフォローを心掛けましょう。

 人間は苦しい現状に立たされると、全体を見渡す視野が極端に狭くなります。冷静に考えれば打開策はいくらでもあるのに、現状に固執してしまっている結果、いつまでも吊るされた苦しみに打ち付けられ続けることになり、最悪の事態を招くことにも繋がります。「借金苦で自殺」などという状況はその典型といっていいでしょう。安易に結論を出すのではなく、耐え忍んで現状打破の手段を模索するという発想を持つことが肝要だと思いますひらめき
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2006年07月23日

アニメ論評会

 先日、埼玉の大宮で友人Wと居酒屋で飲みに行く。その日、出たタロットカードはタワー(塔)の逆位置。意味は「突然の災厄、だがそれほど深刻ではない」

 連休の中日ということもあり、商店街は混雑していたが、逆に居酒屋はサラリーマン層がいないため空いている。いきつけの居酒屋で、Wと焼酎のウーロン割りを中心に歓談を続けていると、話題は次第に今までお互いが見てきたアニメになり、論評会となっていった。主に議論したアニメは以下の通り

・NOIR(ノワール)
・星界の紋章
・銀河英雄伝説
・Fate(フェイト)
・ガンダムSEED


 特にガンダムSEED(以下:シード)に関しての討論は熱くなり、ミジンコもシードに思うところを賛否を問わずWに語るが、ミジンコの提示したシードについての疑問異論は、ことごとくWに踏破されてしまい、言い負かされてしまった。まあ、それだけWには説得力のある論法を展開されたので、こちらも納得せざるをえなかった。
 ちなみにシードで議論した内容は以下の通り。ネタバレが含まれるので伏せておく。
シードはキラ・ヤマトの物語であると同時にフレイ・アルスターの物語でもある。最初から登場し、物語の分岐点には間接的だが確実に影響を与え、職種も市民→連邦軍(アークエンジェル)→ザフト軍(捕虜)→連邦軍(ドミニオン)と多彩に渡り、最後には死んでしまうが、だからこそ見事なまでにその物語が完結した、とみている」
「ラクスがキラをフリーダムに手引きをした。この事態からラクスはパトリック率いるザフト軍に追われることになる。ラクスもそれを見越して潜伏活動を行うのだが、ラクスの父親シーゲルは自宅であっさりと粛清されてしまう。その後、キラと合流したラクスはシーゲルの死を嘆く。なぜラクスは父親に知らせなかったのか?知らせる必要もなく自分の才覚で乗り切ると判断したのか?ザフト軍がそこまで迅速に行動したというのだろうか?……ラクスはシーゲルを見殺しにしたとしか考えられないのだが、どうだろう

 居酒屋を出た後、Wとアーケードゲームのシードをやろうとしたら、いつもの場所にシードの新作の機体が置かれていた。行列もできていたので、あきらめて去ったのだが、別のゲームセンターではシードの席が空いていて、二人プレイで見事クリアー。タワー(塔)の逆位置の暗示はここにありましたねひらめき
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2006年07月18日

正義について

 今回はカードナンバー11のジャスティス(正義)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・感情なく正面を見据える女性
・右手に両刃剣
・左手に天秤

 このカードのテーマは公正です。カードの絵柄の女性は、秩序を維持し、それを乱す者を厳正に処罰する裁定者です。そのため個人的温情も個人的怨恨もない無感情な姿勢をとっています。公明正大、信賞必罰、勧善懲悪といった言葉が当てはまるでしょう。左手に持つ天秤で事態の善悪を測り、右手に持つ両刃剣で裁きを下します。
 ここで重要なのは、正義の持つ視点です。正義と聞くと「悪を倒す」というイメージが働くと思います。悪とは秩序を乱すものであり、正義とは秩序を乱すものを裁き、秩序の均衡を保つことです。正義の視点は社会や法律の定めた広義の秩序にあります。この全体の視野に立って働く秩序のため、時に個人はその裁きの不公平感を味わうことにもなります。たとえば、逃亡中の殺人者が負傷して動けず、そこに通りかかった少年が、その傷を見て手当てしなければと思い、殺人者をかくまって治療しました。この場合、少年は個人的な裁量では善行を積みましたが、社会全体からは「殺人者をかくまった」という社会秩序を壊す行為をしたため、処罰を受けることになります。裁判などで下された判決が理不尽だと感じる場合、個人的裁量よりも社会的裁量が優先された結果とみていいでしょう。
 正義の数は人の数だけあります。ゆえに法の正義という、ひとつにして全体の秩序が機能していて社会を維持しているのです。この法の正義がうまく機能しないと秩序への不信感が広まっていき、社会の混沌へと繋がっていきます。「法が裁きを下さないのなら、自分が裁きを下すしかない」こういう思想がはびこるようになったら機能していない証拠とみて間違いありません。

 恋愛関係では、相手の価値基準が厳密なため、相性が悪いとすぐケンカになってしまう場合があります。ただ、正義の性質上、非道徳的な行為を嫌うため、浮気などの心配はないといえるでしょう。
 仕事関係では、その誠実さであらゆる課題をスマートに処理していけるでしょう。ただミスや不正をした場合、その性質から寛容な対処はしてくれません。なんらかの厳正な処罰は必至です。あとは裁定者となる上司の度量によるでしょう。転がり方が悪ければ減給や左遷といったネガティブペナルティーを、転がり方が良ければ名誉挽回となる仕事の機会を与えられるといったポジティブペナルティーをもたらします。

 三国志の曹操を評する言葉に治世の能人、乱世の奸雄というのがあります。これは、平和な時は凡人で役に立たないが、戦乱の世の中ではその才能を発揮して英雄となるという意味です。一枚岩となっていた国は崩壊し、群雄割拠する戦乱の時代に明確な秩序などありません。その混沌とした当時の中国大陸を三分の二まで統一した曹操は、まさに正義と言っていい存在です。
 ただ、これと逆の意味――平時には優秀だが有事には無能、という人物もいます。誤解していけないのは、平時をきちんと管理して秩序を維持しないと、不正がはびこる混沌社会になるということです。秩序=正義は勝ち取ること以上に、保ち続けることが重要であることを理解しましょうひらめき
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2006年07月13日

運命の輪について2

 前回、途中で終わってしまったフォーチュン(運命の輪)の続きを見ていきたいと思います。

 まずはカードの絵柄を詳しく見ていきます。カードに描かれている円陣の淵には、上に「T」、右に「A」、下に「R」、左に「O」とあります。これを上から時計回りに読むとTARO、一周させるとTAROT(タロット)となります。
 逆に反時計回りに読むとTORA(トーラ―)となります。このトーラ―とは、ユダヤ教の律法書で、天地万物の創造が書かれている真理の書です。プリエステス(女教皇)が懐に半分忍ばせている書物がこれです。
 あと、下から時計回りに読んでROTA(回転)という意味の英単語が含まれる、と解釈されもしますが、この解釈はどうもマイナーなようです。
 いずれにしろ、これらの回文は全て、永遠に繰り返されるタロットの輪を示します。絵柄にメビウスの輪のみが描かれている場合は、それだけで延々と回り続ける終わりなき運命を表現します。

 カードに描かれる生物(雄牛、獅子、鷲、人間)は聖典の黙示録第四章にある四つの獣だそうですが、どういう意図で描かれているのか、ミジンコにはわかりませんでした。今後の課題ですあせあせ(飛び散る汗)

 占いでこのカードが出た場合、その物事に対して大きな影響、きっかけを与えます。今まで良い結果が続いていたのが、思わぬ出来事で暗転したり、不運続きで悪い要素ばかり出ていたのが、突然自分にとって幸運な状況に変わったり、といった具合です。複数のカードを組み合わせて占う場合、そこにフォーチュンが入ると、その周りにあるカードは、カードの意味を変えられたり、意味自身を打ち消されたりします。
 ただ、これまでのように恋愛運や仕事運といった特定の状況では、独立した解釈はできます。恋愛関係では、運命の相手との出会いがあります。その場合の異性は末永く連れ添う相手となる可能性が高いでしょう。仕事関係では、職場環境が大きく変わり、今の地位からの異動(転職・出世・降格など)があるでしょう。今の地位に未練を残すよりも、変わる運命を受け入れましょう。

 タロットの大アルカナも、このフォーチュンで転換点を迎えました。この大アルカナ自身も、回り続ける人生の繰り返しを表しています。何もない「0」から始まり、「21」で世界が完成し、転生してまた「0」へと戻っていきます。
 「0」から「9」までで、ひとつの流れが形成され、中間点となる「10」で軌道転換となる車輪の手引きにより、「11」から「21」への新たな流れへと向かっていきます。ミジンコ自身も解釈がまだまだ途上の段階ですが、後半戦もさらに向上してやっていきたいと思いますひらめき
posted by ミジンコ at 19:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

運命の輪について1

 今回はカードナンバー10のフォーチュン(運命の輪)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・中央に円陣、またはメビウスの輪
・円陣の中にT・A・R・Oの文字
・メビウスの輪の中を永遠に回る人々
・円陣、またはメビウスの輪の周囲に四種類の生物(雄牛、獅子、鷲、人間)

 このカードのテーマは運命です。このカードの正式名称は「WHEEL OF FORTUNE」直訳して「運命の輪」となり、このという存在が大きな意味を持ちます。このカードは、輪の中をいつまでも回り続けるように、永遠に繰り返される人生のサイクルを表しています。人が生まれ、成長し、様々な経験を経て、やがて死んでいく。肉体から離れた魂はやがて転生し、新たな生命体として生まれる――輪廻転生(りんねてんせい)という形が中核となっています。
 運命とは、人の意志に関係なく、あらかじめ定められた事象が起こる事――こう言うと、物事が最初から決まっていて何をしても結果は同じ、となげやりに捉えてしまう人もいます。しかし、結果があるという事は、それに至るまでの原因もあるという事です。
 中国の故事、塞翁が馬(さいおうがうま)を例にします。

 昔、異民族との国境の城塞付近に住んでいる翁(老人)がいました。ある日、翁の馬が逃げてしまい、村人達はもったいないと憐れみました。だが数日後、翁の馬は一頭の元気な馬を引き連れて戻ってきたのです。翁の孫は、その元気な馬を気に入り、翁に頼み込んで譲ってもらいました。孫は馬を乗りこなそうと躍起になりますが、馬の激しい気性から落馬してしまい、足を骨折してしまったのです。落ち込む孫のもとに、役人から異民族襲撃の報が届き、戦える村人は全員徴兵されていきました。しかし骨折している孫は役人から戦えないと判断され、村に残ったのです。後日、異民族は撃退されましたが、徴兵された村人は、ほとんど帰ってきませんでした。孫は骨折により、その命を救われたのです。

……人の運不運は、その場だけで判断されるものではない、という意味で使われる故事です。
 この場合、馬が逃げたという「原因」があって、元気な馬を手に入れたという「結果」が発生しました。そして、落馬したという「原因」があって足の骨折という「結果」が生まれ、最後に戦争に参加できなかったという「原因」が、村に残って命をながらえたという「結果」を出したのです。
 つまり、この孫が最後に助かったのも運命だったということです。もともと運命という概念には正負も善悪もありません。ああいう原因があったから、そういう結果が出た、という事象しか存在せず、それ以上でもそれ以下でもないのです。
 ただ運命を変えるということはできます。先程からの説明でもわかるように、運命とは原因と結果による産物、すなわち因果律の関係から成り立っています。要はこの因果律に、他方向から何らかの影響を与えればいいのです。この「塞翁が馬」で見ていくと「戦争に行って死んでしまう」という因果律に「落馬して骨折」という他方向からの影響によって運命が変わったと見ることができます。
 高名な学者は、こういう運命理論を数式で表して、もっと理論的に説明できますが、ミジンコの頭はそこまで回りませんのでご容赦くださいダッシュ(走り出すさま)

――なんだか、いつのまにか運命についてを論じて、長い文になってしまいましたので、フォーチュン(運命の輪)の続きは後日に載せたいと思いますひらめき
posted by ミジンコ at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

MOTHER3 それに思うところ…

 遅ればせながら、任天堂のゲームボーイアドバンスソフトMOTHER3を買った。その日、出たカードはフール(愚者)の正位置。気の向くままに店頭へ赴いた結果、いつのまにか購入していたのは、このカードが原因か。または、このゲームの主人公が無垢な子供なので、それを暗示してのことか…

 ともかく、一応は待ちかねていたMOTHER3である。というのも、MOTHER2が出てから今回の「3」まで十年以上が経過。期待して次回作を待つには、さすがに度を越した期間である。熱心なユーザーを自認していたとはいえ、発売日に購入意志を限りなく薄くさせる期間としては充分といえよう。
 さて、さっそくプレイし、まだ序盤であるが、「3」が明らかに「1」「2」と異なる作品であると判断を下す。ゲームシステムやストーリーの構成、ゲームの世界観といったものではなく、もっと本質的なものである。「1」「2」では決して見られなかった場面――主人公の母親が第三者の手で殺されるという場面である。
 このMOTHERというゲームは、現代を舞台にしたRPGであり、武器には剣や杖のかわりにバットやフライパン魔法のかわりに超能力という扱いである。パーティーとなる少年少女は、これらの力で敵と渡り合っていく、というところは通常のRPGと同じだが、その通常との最大の違いは敵を倒さないことである。厳密にいえば、敵を倒した時、「●●を倒した」「●●を殺した」という表現は一切でない。人型の敵だったら「●●は我に返った」、動物類の敵だったら「●●はおとなしくなった」と表現される。そして、ゲーム中のイベントでも人が殺される場面は一切ない。以前、MOTHERについて述べていたゲーム評論家が、この点を高く評価していたのを覚えている。

 まだ序盤なので、この先どうなるかはわからないが、少なくとも人が殺されたという過程を経たことでMOTHERというゲームの雰囲気が変わったことは確かである。なにやら重い文になってしまったが、ミジンコはファミコン時代からMOTHERをやってきたファンである。好きだからこそ、ちゃんと見極めながらプレイすることがユーザーとしての責任であり義務であると思いたいひらめき
posted by ミジンコ at 20:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

隠者について

今回は、カードナンバー9のハーミット(隠者)を見ていきます。カードの絵柄の特徴は以下の通り

・暗い洞窟の中でローブをまとっている老人
・右手にランタン(ともし火)、左手に杖を持っている
・ランタンには六ぼう星の紋様があり、光っている
・向かって左を向いている

 このカードのテーマは真理の探求です。絵柄の老人は、俗世界で英知を極め、この世と隔絶した場所に身を潜めて自己と向き合っています。こういう人物を人々は賢者や仙人と称して敬います。洞窟の暗闇は自己の未知なる部分を示し、杖は暗い足元を確保しながらの前進の意志を示し、ランタンの光は無知を切り拓いて照らされた光明なる知恵を示します。
 ハーミットが、その行動原理とする真理の探求とは、突きつめると、自己の探求であり、さらに言うと「自分とは何か?」を問い質すものです。世俗的な出来事なら、知識や思慮をある程度積めば解決できますが、自分で自分を理解するというのは、それこそ永遠の真理でしょう。たとえば、他人から自分の嫌な部分を指摘されたとします。しかし、自分でそれが嫌な部分だとは認めたくないものでしょう。こういった事由ひとつ取っても、自己の内なる世界を探索するのは一筋縄でいかないものと理解できると思います。ハーミットのカードの解釈は、ミジンコが調べてきた資料でも、共通して「困難もの」とありましたので、カード同様、まだまだ解釈の探求が必要であるようです。
 以前、フール(愚者)の説明の時に「フールとハーミットは対の存在なので、フールは右を、ハーミットは左を向いている」と説明しましたが、ミジンコが最近調べた資料で、フールとハーミットの関連性を述べたものがあったので、ここに概略で記します。

「フールとハーミット、どちらも未知への前進を示す杖を持っている。だがフールは未熟で無知なため、暗闇(世間)の識別能力がなく、様々な落とし穴にはまってしまう。ハーミットは、ともし火(知恵)を持っているので、暗闇を識別できる。しかしフールには、その無垢な精神から、歩みを止めることはなく、様々な外の世界に触れていき、未知なる可能性を伸ばしていく。一方、ハーミットは、知恵があるがゆえに暗闇を理解し、できるだけ接触を避けようとする。結果として孤独(世俗と隔絶)となる」
……知恵の有無に関しての姿勢、といったところでしょうか。実際はもっと詳細でしたので、この関連性のテーマに関しては、さらなる理解を深めていきたいと思います眼鏡

 占いでは、恋愛・仕事・勉強・金銭・将来…どれに関しても、基本的に「自分自身と向き合う」ことが重要になります。言葉に出すのは簡単ですが、それだけに深くて広いものが必要であることは、ここまでの説明で理解されているものと思われます。

 物事を理解し、追究していくということは、つまるところ「すべてを疑う」ということです。嫌な言葉と思うかもしれませんが、真実というものは、たいがいにして闇に隠れているものです。それを知るためには、自らの手で探索・解明をしていく――つまり、自らも闇の中に踏み込んで捜すしかありません。そして闇の先には必ず答えとなる光があります。その光を見つけた時、人は自分にしか感じ得ない喜び、達成感、満足感が待っているでしょうひらめき
 
posted by ミジンコ at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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